KAT-TUNはアイドルのバブル
こんばんは、姫野です。
前回の更新から4ヶ月も経っていたことに驚きを隠せません。書きたいことは沢山あったのに。
今日は思い切って一番書きたいことを書き散らします。寝転がって書いてるので誤字脱字乱文諸々ご容赦下さい。
KAT-TUNはアイドルのバブル
これはもう常日頃から私がうわ言のように口にしているフレーズです。
私だけがそう感じているのか、はたまた皆様ぼんやりとそう感じているのか。どうなんでしょうか。
でも、懐古厨と呼ばれる人々はどことなくバブルの残党に似たところがあると思うのです。双方の口癖がこちら。「あの頃は良かった」。
ただしKAT-TUN懐古厨の言う「あの頃は良かった」は「あの頃は良かった(比べて今は良くない)」に繋がるのではなく、「(今も良いけど)あの頃は(更に)良かった」という意味なのだと勝手に解釈しています。異論は認めません。
とにかくKAT-TUNの勢いは凄かった。ジャニーズの歴史、いやアイドルの歴史に風穴をぶちあけた。何から何まで世間の話題をかっさらい、LIVEではデカイ花火をあげまくった。多くの人々は、真新しいアイドル(らしき)ギラギラした彼らに熱狂した。そう、ほんの数年だけ。
私の青春がくすんでいくのと時期を同じくして、KAT-TUNはメンバーの脱退を迎えた。そのあたりの記憶はほとんどない。日常のこともひっくるめて、当時の記憶は私の中からすっぽり消えてしまったのだ。私のバブルが、弾けた瞬間だった。
私の心が落ち着いた頃には、大好きな赤西仁くんはレーベル立ち上げてるし、ジャニーズにも新しいグループが増えていた。仁が脱退するときに止まった(止めた)私の時計。少しずつネジを回し始めた。
するとジャニーズ界隈は驚くほどに変貌していた。
その変貌ぶりに度肝を抜かれた私はこう思った。「KAT-TUNはバブルだ」。
バブルだし、伝説。バブルだからこそ、伝説。あの当時のKAT-TUNを超えるグループには残念ながら出会えそうにはない。
見返りを求める花冠たち
これは前にも言ったかもしれないが、コンサート会場などでよく見かける光景が異様なのである。つまり、その異様な光景をよく見かけるのだ。
代表されるのは、花冠、連うちわ、「干される」。
これらを使って短文を作ってみた。
『花冠で目立って、4連うちわでアピールしたのに干された』
何とも図々しいことなのだが、コンサートに構ってもらいに行く奴が増えているらしい。その証拠に、応援うちわには今や『~して』というワードばかりが貼り付けられていて目を覆いたくなる。『こっち見て』程度なら分かるのだが、『ジャンケンして』『指さして』など相手の行動を要求するうちわは、もはや応援グッズの範疇を逸脱しているのではあるまいか。没収没収!ついでに公式禁止の連うちわも丸ごと没収じゃー!
今、そんなグループある?とりあえず目立ちたがりの構ってちゃんばっかだよね。どこの会場も。セトリや演出よりも、誰がどこを通るとか、構ってもらいやすい席とか、そんな的はずれな見返り重視の会話が聞こえてくると悲しくなる。
多分、根本的なスタンスの違いだよね。
媚びないカリスマのままでいて
KAT-TUNは、すごく高いところにいて、そう私達なんかじゃ手の届かないところにいるの。いてほしいの。仁君にいたっては神様だし、天使だから。KAT-TUNに対しては信仰愛です。だから。某薔薇組みたいなことされると、その信仰を踏みにじられた気がしちゃうの。ファンサありきのコンサート。それはそれで薔薇組のスタンスなんでしょう。でもKAT-TUNは違うの。彼らは特別なの。だって、
KAT-TUNはアイドルのバブル
だから。誰にもかないっこないの。匹敵するものや比類するものがあってはならないの。アイドルバブルが弾けて(私の記憶もすっ飛んで)伝説が生まれて。そこからまた新しい物語が紡がれ始めている。
バブルにしがみついていてはいけない。時間は動いている。彼らは成長している。私は記憶を取り戻している。
だから懐古厨は、バブル期の思い出という聖書を片手に今日も彼らを応援する。正しい方法で、まっすぐに。